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肉体が霊体でないのなら、心も、魂や霊的な心理と同じとは言えないのでは?…さて

公開日: 2008年9月1日月曜日 「霊的」ということ

17世紀の神秘思想家の本を眺めてましたら、

「人間は物質的な食物だけではなく
 霊的な食物によって養われ、
 血液がその運び手である」

とその人物は信じており、「脈拍」を重要視していました。

彼にとって、人間は肉体だけの存在ではなく、
霊的な構造や構成を伴っているものであり、
宗教的教義や神秘思想的エッセンスを用いて
その階層構造を説明し、
それが高級な存在(神や9階層の天使)へと
続いていくことを著作の中で説明しておりました。

ところがその時代は、
ヴェサリウスの人体解剖図の本が世に出てから、70〜80年くらい後の時期でした。
(この本は「人体構造論」とか「ファブリカ」と言われる本のことです。
 正式には、“De humani corporis fabrica”[人体の構造]です)

この神秘思想家も「ファブリカ」を読んでいたようで、
自分の本の中で人体の解剖図について触れ、
「肉体」というものについて考察していたようでした。

彼にとっては
「肉体」は人間という存在にとって最下級の構成体で、
魂と霊の単なる媒介に過ぎず、
加えて、誘惑や罪の住む場所でした。
しかし、
同時に軽蔑の対象であった肉体は、
彼にとって恐ろしいことにまた不思議なことに
細部に至るまで小さな宇宙を反映するように
緻密であり畏怖と称賛に値するものでした。
最下級の構成体がもつ神秘?

彼は、この葛藤の克服が出来なかったのではないかと
彼を調べたある書物に書かれておりました。
しかしながら、
彼は、彼なりに人間が霊的な存在であることを
説明しようと、自分の知っている知識を駆使しました。
彼は、神や、霊的である人間を説明したかったのでしょう。

さて、それから400年弱経過して
時代は現代。

ヴェサリウスの解き明かした人体を
多くの人々が当たり前に知るようになった現代。

人間は人間をどのように考えるようになったのでしょう。
人間は人間のどこに特に注目するようになったのでしょう。

ある人が言いました。
(とりあえず、もう一人の僕のことにしておいて下さい。_(^^;)ゞ)

いつの間にか世の中は「心」について
よく話せることが重要とされるようになった。
そして、真剣な人もいるけれども、
「心」や「性格」や「○○な人」という「あてっこゲーム」が
大流行で、心理学、占術、霊的なんとか、
そういうことに携わる方々がこぞって「あてっこゲーム」に
様々な方法でかかわってしまった。
そして、
みんなが気軽に楽に、楽しく、前向きにハッピーに、依存的に
「自分探し」や「自分を言い当てて下さい」ゲームをするようになった。

とにかく「心」を詳しく説明できる人がすごいことなのらしい。

確かに地上に生きる人間にとって、
生活に困らないのであれば、
次は「心」は重要なテーマになるのでしょう。
しかし、
事件を起こした人の心理をああだこうだと
言い合っている様子をみていると
とても本当に「心」を理解しているとは思えない。

ではあるけれども

ある人々は人体の複雑な構造、特に「脳」の不思議に注目し
脳の機能の複雑さから心を説明しようとする。

昔、真剣に天に問い、神の摂理や、
運という不思議な物を読み解こうとした占術家たちも
とうとう「性格判断」や心を説明しようとするようになった。

そして、いつの間にか、「心の専門家」という人たちも
出現するようになり、なにやら法則とか原理とかを用いて、
心の複雑さを熟知しているかのように説明するようになった。

さらには、
心について語る人の中に
「霊の専門家」を名乗る人たちが急増した。
特にこの人たちは、
心について話しているのか
霊的な話をしているのか、まぜこぜでよくわからない。
単に、昔から言われている人生処世訓しか話していないこともある。

はて?
確かに「心」は重要なのだろうが、
「心」とはそんなに単純なものなのだろうか。
そして、「霊の専門家」を名乗る人には聞いてみたい。

心は魂と同じなのだろうか?
心は霊的な心理と同じなのだろうか?
人間の正体と「心」や魂や霊的心理の関係は?

そういった
心の正体、霊的な人間の正体、霊的な心理との関係、
それらについて触れることなく、霊的存在がメッセージをおくる?

高級な霊的存在は、
人間に、「霊的な人間の正体」を知ってもらいたいのではなかったのか?

霊的な意味がさほど少ない、もっともらしい人生処世訓を伝えるために
霊的存在は地上に関与しているのか?
霊的メッセージとやらを受けた人は疑問に思わないのだろうか?


さて、
17世紀の神秘思想家が間違っていたとしても
彼は、
宇宙、神の世界、神と人間の関係、
神と9階層の天使と人間の関係
人体の神秘、化学的実験、測量学
自然の神秘、
そういったあらゆるものを用いて
霊的である人間を説明しようとしていました。

では、現代に、
真剣に、霊的である人間を説明しようとする人は
真剣に、霊的である人間を探求しようする人は
いるのでしょうか。

現代であれば、
その神秘思想家の情熱に負けずに、
次のような説明がほしいところでしょうか。

人間の基本的な霊的構造
(肉体−エーテル体−アストラル体−コーザル体−○○体
 というような玉葱構造による説明はいろいろな本で見ますが
 本当なのでしょうか。語っている人は本当に知っているのでしょうか。
 そんな単純な説明だけで終わってしまうのでしょうか)

心と魂と霊的な心理との差異の説明
(人間の一般の心理は、魂や霊的心理と同じでしょうか
 あるイギリスの作家が、心霊実験を調べているうちに
「死後の自分になる存在を、現在の自分は知らないのではないか?
 死後に存続しているのは本当に自分なのか?」
 という面白い疑問を呈していました)

●「運命の作用反作用をカルマというのです」
 などと誤魔化さずに、カルマの話をするのならば、
 もっと正確な説明をお願いします。
 これは生きている人間にとってかなり重要な話ですので
 わかりやすさも大事ですが、そろそろ一歩踏み込んで
 説明してみてはどうでしょうか


しかしながら、
霊的な話をどんなにしたところで、
人間の霊的な部分が成長しなければ
意味不明の学問用語と同じで意味が少ないでしょう。

結局は、
霊的成長が不可欠なのでしょうか。

人間の心が、魂や霊的心理などと同じであると言えないのだとすれば、
普通に生活しても
表面上の心のあり方を変えたとしても
霊的に成長するとは言いにくくなります。

となれば、高級な霊的存在とつながることが重要で
それは一般の人間には事実上かなりむずかしいので
霊的な師や達人の指導にしたがって
その上で、高級な霊的存在とつながり、
両者の指導を受けることが必要なのでしょう。

17世紀の神秘思想家の本に下の挿絵がありましたが
これもそういう意味なのだと思います。



※ロバート・フラッド『両宇宙誌』の『小宇宙技術誌』1620(推定)の挿絵
(邦訳『交響するイコン』)
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