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現代人の刀「正義正論剣・無知蒙昧斬り」・・・間違えている、欺されている、という状況が相当に嫌いらしい・・・

公開日: 2008年9月7日日曜日 「霊的」ということ 宗教にまつわる話


宗教や霊的な現象、あるいは死後の霊魂の世界の話が話題になることは
現代では、季節的に夏に「納涼○○」に便乗した「心霊特集」でもなければ
あまりないようです。

それでも、だれかがもし真面目に霊的な話をしたら、
周囲の人々はどう受け止めるのでしょう。


「え? ○○さん、霊がいるって信じる方ですか?」

と社交辞令的会話が起こる。

「うん、まあどうなのかはね。
 私も見たことはないし、わからないけど
 最近ね、そういうような話を耳にするよね。」

ああ、なんて社交辞令的なんだろう・・・後悔・・・((((((^_^;)

「でも、よく○○商法とかあるじゃないですか
 非科学的なことを信じていると、
 おかしなことを言うとか
 ○○商法に欺されて献金しているとか、
 よくありますよね。」


え?本当によくあるのだろうか?
そもそも非科学的なのはいけないのだろうか?

まあ、確かに「欺されている」のは印象悪いんだろうな。
頭が悪く見えるんだろうなあ。

でも、まてよ!

「オレは!サンタクロースは本当にいると
 信じているんだ!!」

という大人がいたら、「欺されている」ことになるのか?

頭が悪そうかもしれないが
個人的にはそういう人は、結構好きだ!

なんだか、世の中
非科学的・間違えている・欺されている
に敏感過ぎやしませんか?

しかも「非科学的」っていうけど
科学って、
真面目に言うと、証明不可能には意見しないのが科学的なんだと
思うんだけど・・・

非科学的

科学的

なんだかな・・・

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(以下、ある人から聞いた話をもとに少々)


例えば、科学、普通は「自然科学」のことを指しますが、
この科学といわれるものは本来、

・観察測定可能な現象の分析
・実験などによる再現性を検討
・上記の方法論に数学もしくは論理学的検討を重ねて
 客観性を確定する

多少、乱暴ではありますが、おおよそは
このような方法をとるものと思われます。

すなわち、

・科学は、観察や測定のできないものについては何も言えない

・実験などによる再現性を検討できないもの
(1回きりで終わるもの)についても何も言えない

・客観性を持たせるための数学・論理学的な方法は
「○○は存在しない」という「ない結論」を出すのは
 相当にむずかしい。

 「ある結論」は、存在することさえ再現できることを出せれば
 論理的に結論づけるのは、あまりむずかしくないが、

 「ない結論」は、本当に絶対ないといえるか、というと
 実はこれは、大変に証明がむずかしい。
 
 その世界を支えている前提条件がわかっている場合は
 数学的・論理的にその条件に背反することを証明できれば
 「ない結論」は可能である。

 それ以外の場合は、丹念に1つ1つの現象について
 しらみつぶしに「ない」ことの証明を繰り返して
 いけば、もしかしたらいつかは「ない」を証明できる

 しかし、これは「収束する」ことを前提に話したのであって
 万が一にも、たったひとつでも「ある」ことになってしまえば
 「ない結論」は根底から崩れてしまう。


長々と失礼しました。

科学の方法論は、現代人の場合は、大人になる途中に
教育という手段で学ぶよう準備されていますから、
現在はだれであってもそこそこは知ることになります。

しかし、
この方法は、宗教や霊的な現象に関しては
説明する方法を持たないというほうが
誠実かと思います。

したがって、
科学の先生が宗教や霊的なことを信じていても
本来は何の問題もありません。

一部の例外を除いては・・・

その一部の例外というのは
宗教や霊的な現象を「あることの証明が可能だ!」と
誰かが言った時に始まるようです。

宗教に証明(科学手法の証明)を持ち込むことのは
かなりむずかしく、どうかとも思うのですが、
科学教育を受けた弊害もあってか、
どうしても「証明」したくなる人もいるようです。

  A=B ゆえに 神はいる
  また、一般に脳機能による心理機能は、
  C0 での事象であるため
  C<0 においては、霊的な現象が否定できない。
                                                             Q.E.D.

例えば、上記のように
宗教や霊的な現象が証明されたからといわれても
世界中の人々が宗教や霊的な現象を信じるかどうかは
別ではないかと思われます。

というのは、

あくまで個人的な見解ですが、
宗教や霊的な現象は、
本人が信じるかどうかの問題ですので
科学的に証明して人々を「説得」できるかどうかではなく、
人々が「納得」すれば済む話だと個人的には思います。


本当の前置き終了・・・

さて、
つまり、科学と宗教は(霊的な現象も含めて)
科学の側から見ると別の次元の話で、
本来は扱えない次元なのです。

ところが、
科学が「方法」で終わらずに「価値観」という
個人の思想を支えるものになってしまうと、

宗教や霊的な世界の方からは、
「科学」というのは方法であったとしても

それを支えている人は科学者ではなく
「科学教」という思想や宗教の実践者に見えるのです。

そのため、
宗教や霊的な世界に関係する人間にとっては
別のものとは見えず、
「その考え方は人類にとって正しいのかどうか?」
と、
思想的対決を「科学教」実践者にしてしまうようです。

これは逆もあるようで、

「科学教」実践者が、宗教や霊的な世界を考える人々と
価値観が異なるため思想的対決をしてしまいたくなることも
あるようです。

さて、科学と宗教(霊的なものも含む)は
結局のところ対立することがあり、

論点はいつも
「正しいのか」
「それは正論か」
「君はものを知らなさすぎる」
「なんて無知なんだ」
「欺されている」
「バチが当たるぞ」

などの言葉が飛び交っているようです。


「正義正論剣・無知蒙昧斬り」でお互いを斬り合って
人間はいったい、何がしたいんでしょう・・・


願わくば、

「正しくない」
「間違えている」
「欺されている」

で、あちこちに投書やメールが殺到し、

宗教的なことや
霊的なことを
真面目に信じている人間までが
「おかしな人」
「変な人」
呼ばわりされるような風潮になって、

集団暴力的な「正義正論」の結果
高級な霊的存在との接点や接する機会を
自ら減らして
霊的に息苦しくなるような
霊的に揺さぶりをかける必要が出てくるような

そんな末期的世の中に
超特急で進むことがないように
本当に願いたいものです。


私自身は「おかしい人」でもかまいません。

でも

「サンタクロースを信じる大人がいたら
 そういう人を好きだ、と思う単純な自分は

 高級霊魂が存在することと、『求めよさらば与えられん!』

 が真理の一端だと
 自分は信じているんだ!」

と、堂々と言いたい

言うことにしようかな・・・(検討中)_(^^;)ゞ


※ウィリアム・ブレイク『The Blasphemer』(部分) 1800(推定)
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