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「パスカルの賭け」現代版・その1・・・(もしもの世界)

公開日: 2008年9月10日水曜日 「霊的修行」 宗教にまつわる話 創作童話-もしもの世界

(創作童話−もしもの世界) ※この話はフィクションです



<ある胴元の呼びかけ>


さて、大きな賭けをやってみよう。
こんな賭けは人類の歴史上滅多にないぞ。


これは「現代版・パスカルの賭け」だ。


元祖・パスカルの賭けだと、
パスカルが、損得や論理にこだわる人間のために
理性では判断できない神への信仰に対して
宗教学入門とも呼べる「賭け」の逸話を用意して説明した。


しかし、現代人はその話を論理的ゲームとしてしか読まない。
なかんずく、
神を信じないほうがローリスク・ローリターンで安全だと言い放ち
「神への信仰が望ましいという結論にならない」

という意見を出して、賭けを遠巻きにみて
賭けに参加することはなかなかない。
これでは、パスカルが気の毒だ。
そこで私は、パスカルの精神的後継者を自任し
「現代版・パスカルの賭け」をもって、
この賭けの胴元として君らに問う。


では話を進めよう。
霊的修行の師が大変なものを出品した。
事実上の神の御使いが準備した「修行法」だという。
さて、
君はこの「修行法」を行う道を行くか、行わない道を行くか。
君はどちらの道を選ぶ?

賭け金は「自分の人生」である。
正確には、君の霊魂としての「過去、現在、未来」が賭け金となる。

さて、君が修行法を行う方に賭けたとしよう。

勝った場合どうなるか?

実は、この修行法の真の成果は、死んで霊魂になってから
実によく実感できるのだという。
つまり死んだ後にならないと真の意味が分からない
といえるかもしれない。

なので、
死後の霊魂の世界を信じない人間には価値がない、と見える。
(だが、死後は誰にも等しくやってくるのだけれど・・・)
しかし、おそらく、控えめに言っても、
死後、霊魂として低い世界に落ちることはないだろう。
うまくいくと、もっとすごいことになる。

すなわち、神の御使いが準備したと言うことは
神につながる確かな道の可能性が高いということだ。

え?
本当に神の御使いかどうか証拠を出せって?

これは「賭け」だよ。
自分で判断して賭けるしかない。

大体、君たちの言う「証拠」や「保証」の意味が分からない。
これは、宗教や霊的な事柄だ。
科学の実験や裁判と同じものではない。

これは、宗教や霊的な事柄においてはなおのことだ。
ある聖者がこう言っていたと思うのだが・・・

心の中で深く嘆いて
「なぜ、今の時代はしるしをもとめるのだろう…」


だから、君らの大好きな論理や理性で判断するもよし。
もし、持っているなら、霊的感性で判断するもよし。
そういうことだ。


では、負けた場合はどうなるか?

負けても、「修行」という打ち込めるものを持って人生を
終わることが出来る。有意義じゃないかね。
え?それじゃすまないって?

あ、そうか、そうだね。
つまり、修行の師が「ウソ」をついていた場合、
あるいは、修行の師が悪意の霊魂に欺されていた場合があるわけだ。


修行の師が単にウソをついているだけなら
そこに激しい恨みをもつのでなければ、霊的には大きな問題はない。

え?欺されたから、地上じゃ恥ずかしくって生きていけないって?
そうかな、人生とは恥ずかしいものだろう。
ある映画監督もそう言っていた。

お金を騙し取られるって?
うーん、
今までに随分つまらないものに
お金をかけてきたとしても
それは気にならなくて、
「騙し取られた」と思うと気になって気になって
しょうがないというのが人間という生き物だよな。
確かにお金は大事だ・・・

え?
被害者になったり、反社会的な行為をさせられるって?
それは確かに問題だ。
そう、地上の人生ではそれがかなり大きな問題なのだろう。
生活もこころもボロボロになる可能性がある。
そうなると霊的にもいいとは言えない。

と、同様に問題となるのが、次の点だ。
地上の人間はさほど気にしないが・・・
すなわち、修行の師が悪意の霊魂に欺されていた場合だ。

これはかなり大変だ。
みんなそろって欺した霊魂に繋がり
低い世界に落ちていくからだ。


では、もう一方の選択肢。
君が修行法を行わない方に賭けたとしよう

これに勝ち負けはあるようで、実はない。

一言で言うと
それは、この「修行法」とは無縁だったというだけである。
そして同時に、「修行法」が霊的修行法なら
それを指導する霊的存在とも無縁だったということである。

それが、君にとって損なのか得なのか
それも君次第である。
ただし、
「無縁」ということの意味をよくわかっていない人がいる
言い換えてみよう。

人間が、「修行法は必要ない」、と、無縁を自ら決断すれば
神の御使いは、目印をつけて接点を持つこともしない。
となれば、その人間が何かの理由で神の御使いを呼んだとしても
神の御使いには届かない。
神の御使いも目印がないのでその人間を見つけられない。
これが、無縁を表す一つの例である。

だから、
ある人に言わせれば千載一遇のチャンスを逃した大損である。
別の人に言わせれば、興味のない人間がブランド品を
たまたま買わなかっただけの話かもしれない。
大抵は二度目の買うチャンスはないのだけれど。

さて、もし指導する霊魂にとてつもない
大物の高級霊魂がいた場合、

ここで無縁だったら、次の機会はいつになるか
さっぱりわからない。
もしかすると二度と縁が生じないかもしれない。
あるいは、
死後の霊魂としての人生の何百年、何千年
あるいはそれ以上の時間のロスになる。
時間のロスだけで済めばいいけれど。

え?証拠がないから信じられないって?

まだ質問?
死後の世界や霊魂を信じていない人間はどうするかって?

もう一つ?
正しいことをしていれば神様は見てくださるから
おかしな修行などせずに、世のため人のために
生きた方がいいって?

なるほど。
君たちの世界法則ではもっともな疑問である。


では、次回それに答えるが、
こちらからもひとつヒントになるかもしれない
提案をしてみよう。

修行法を行うのを選択すると「あたりはずれ」の損得が
大きいので、怖いという人間が多いが、

約2000年前のイスラエルで、
イエス・キリストと弟子達が近くにいたら
「あたりはずれ」を気にして、
怖いから近づかないだろうか?
ちなみに当時の人たちも
イエス・キリストについては
意見が分かれていたね。
さあ、君だったらどうするんだろう?



(つづく・・・?)


しかし、胴元は、つぶやいて立ち去ろうとしていた。

賭けるという行為に賭けられない、
 そして理屈であれこれ言う。
 こんな人間相手じゃ商売にならない・・・
 パスカルにも申し訳ない
 神の御使いもあきれてしまうだろう・・・」

さて、
胴元が立ち去るのは、なのかなのか?


そんなことを言っているから、
修行の師は、胴元にあずけて
どこかへ旅立ってしまった。
もはや、
論理的な損得が優先順位を上げたため
神と御使い達は、「見込みなし」と
「修行法」をキッカケに最後の試験を
しているのかもしれないし、
むしろ、
そんなことをいう「お前の方がおかしい」と
自分が世の中に笑われるのかもしれない。
さて、どうなのだろう?


(つづく・・・?)

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