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仁古 伝右衛門 の問い・・・(もしもの世界)

公開日: 2008年10月14日火曜日 「霊的」ということ 「霊的修行」 創作童話-もしもの世界


(創作童話−もしもの世界) ※この話はフィクションです


<底本 Incipit Evangelium Secundum Iohannemm 3:1-12>


幾多の教えを学び、
幾多の修行をなし、

人々より「先生」と呼ばれるようになり
尊敬を得るに至った男がいた。

仁古 伝右衛門(にこ でんえもん)
齢五十になっていたであろうか。


しかし、ここ伊豆において
ある若者が熱心に活動していた。

名を
井沼 八十(いぬま やそ)
齢三十ほどの青年である。


仁古伝右衛門は、
方々で、井沼 八十の活躍を耳にした。
しかしながら、
伝右衛門が関わっている組織では
井沼という輩は
なにやら人心を惑わす不届き者である、
というイメージが定着しつつあり、
ある意味、
井沼 八十は正しく評価されてはいなかった。

伝右衛門自身も神々の道を人々に説き
人として如何に生きるべきかを説く「教師」であり、
かつまた、彼の住まう近隣の地域において、
自治を司る指導者でもあった。

そう、
社会的に充分な地位をもっている。
この世において、人に尊敬されているのに
何もわざわざ、自分の身の評判を落とすことはない。

だから、黙って組織の方向性に従って
「先生」として「指導者」として無難に生きていれば
何の問題もないはずだった。

神々に至る真実や
霊的な正体を
強く熱望さえしなければ・・・


だが、
仁古伝右衛門は、そういうことができないようであった。

彼は、かねてから、
人間なるものが、神々など高貴な存在を強く求める気持ちを
もっていることを前提とした上で、
信仰はもちろんのことであるが、
神々の御心にかなうために
人はどうするのが正しいのか?
そういう疑問を常に持っていた。

確かに信仰は重要である。
自分も人々にそう説いてきた。

しかし・・・

しかしである、

神々の世界には、人知の及ばない
仕組みがあり、都合があってもおかしくない。

であるならば、
どうすることが適切なのかの道はあるはずである。
そして、
神々に認められた重要な人間の代表と呼べる人物は
そういう自分の疑問に対する答えをもっているのではないか。

伝右衛門は、そういう優れた人間がいるのであれば
是非にも、問いたい
是非にも、聞きたい
是非にも、教えを請いたい
かように願っていた。


そして、とうとう伝右衛門は、
周囲の身近な人間にやめておけとすら言われたのに
井沼 八十に会おうと決意し、
行動に移した。


仁古伝右衛門は、
周囲の気遣いも無視できなかったので、
夜遅く、人目につかないように
こっそりと
井沼 八十を尋ねた。


そこで、どんな話が交わされたのか?

正確には不明であるが、
井沼の脇についていたある若者は、いくらかの記憶を人に伝え、
それがいつしか手記となっていた。

伝右衛門「・・・という疑問をもっています。
     神々に連なる人物でなければ、答えられないと
     思っていました。
     そして、もしや、あなたであれば
     ご存じなのではないかと、訪れた次第です。」

井沼八十「そのためには、
     人間は天より来たる高貴な御力によって
     上方からの流れを受けて生まれる必要がある。
     新たに、生まれることが必要である。
     若かろうが、年老いたる者であろうが
     同様である。
     したがって、そう願うのであれば、
     残念ながら、あなたであっても、
     新たに生まれることが必要になる」

伝右衛門「新たに生まれる?
     それは再生の秘義のことでしょうか?
     輪廻転生を経なければ魂としての
     人間は成長しないということですか?
     今生の1回の人生で目的が達成出来ないので
     また、再生・再受肉が必要になる
     と言うことでしょうか。
     『月の民』の考えが正しいと言うことですか」

井沼八十「結論を急ぐことは、
     あなたが探し求める真実より遠ざかる危険が大きい。
     よくよく、落ち着いて、本質的なことと
     もっともらしいことを分けられるようになることが
     必要である。
     その上で、重ねて言う。
     あなたの言う『再生』の話は、今の世の中では
     どんどん勝手な理論ができあがり
     真実からかけ離れてしまった。
     そういう現象については軽々しくは扱えない。
     なので、私はそのことについては触れない」

伝右衛門「では、新たに生まれるというのはどのようなこと
     なのでしょう?」

井沼八十「ここでいう『新たに生まれる』というのは、
     あなたがいう、いわゆる『再生』の話をしているのではない。
     その点を整理しておいた上で
     改めて言う。
     生まれるとはどういうことか?
     生物の生殖の法則に従って生まれたものは生物である。
     すなわち、肉から生まれたものは肉であり
     『それは霊です』とは単純には言えない。
     肉から生まれたものが肉ならば、
     『霊』なるものは、霊からうまれたことになる。
     霊から生まれるとは、
     少なくとも
     上方からの、天より来たる高貴な御力によって
     目覚めて生まれる必要がある。
     それを、あえて言うと、
     『上から生まれる』と言えるであろう」

伝右衛門「おっしゃることはわかりました。
     単なる『再生』による話ではないということですね。
     生まれると言う言葉についつい動揺しました。
     単に生き物としての誕生の話にとどまらず
     神秘なる高貴な御力による『誕生』
     すなわち『上から生まれる』ということを
     話されているのですね。
     しかしながら・・・
     やはり、まだよくわからないのです
     霊によって霊がうまれるということの本質が。
     なので『上から生まれる』と言われましても
     ぼんやりとして雲をつかむような漠然とした話にしか
     聞こえないのです」

井沼八十「そう、あなたの言われるとおり
     あなたがいかにすぐれた教師であり指導者であろうとも
     『霊』の話はなかなか理解できるものではない。
     皆が『霊』に勝手なイメージを加えあれこれ語り出す。
     人々が真剣に求むるべきの一つは『霊』なのである。
     尊き、高貴なる『霊』
     これに明るければ、神々へと連なる道も
     よりはっきりしてくる。
     けれども、
     いつの間にか怪しげな言葉としてしか用いられなくなり
     その尊さや高貴さが語られなくなってしまった。
     こうした時代にあっては真の求道はまことにむずかしい。
     さながら、
     尊き高貴なる『霊』は
     風のごとし。
     風はあちこちに吹き、人々はその音を聞いて
     風の存在を知ることはあっても、
     風の正体を知ることはない。
     風がいかなる力と流れをもっているか、
     風がいずこから来たりて、いずこへと向かうのか、
     人々は風について知っているようで何も知らない。
     まさに、
     風は『霊』のごとし、『霊』もまた風のごとし」

伝右衛門「確かに、私は
     風について、わかっているようで
     何もわかっていません。
     『霊』は、風のごとしと言われるのであれば
     確かに、
     『霊』についてもよく知りません。
     何も知らない、恥ずべき教師なのですが、
     やはり、これは尋ねておきたいのです。
     すなわち、
     ・新たに生まれる、とは
     ・霊によって生まれる、とは
     ・上から生まれる、とは
     これは、何を指しているのでしょう。
     人にとってどういうことなのでしょう」

井沼八十「まず、残念なことに、人は
     一人では霊的に新たに生まれることは出来ない。
     となれば、
     ・新たに生まれる、
     ・霊によって生まれる、
     ・上から生まれる、
     以上の事柄をなすためには、
     見えない夜道を一人で歩いたために
     わざわざ、つまずくようなことが
     あってはいけない。
     そうではなく、
     道を知る尊い御力に道案内をしてもらうか、
     尊い御力に昼のように照らしてもらうか、
     いずれかによって
     つまずかずに歩いていけるとよい。
     つまり、
     以上のたとえのように
     新たに、霊的に、上から生まれるには
     手助けが必要で、
     そこに、
     上方からの、天より来たる高貴な御力を
     受けることが必要である。
     まず、これが第一である。
     ・・・
     次に、そのような御力をいただけることを
     前提とするが、
     御力には御力の『働き』というものがある。
     したがって、御力をもっともよく
     適切にいただく道や方法がある。
     すなわち、
     御力をいただいて、
     水と霊によって、生まれること。
     (自分の霊的本質が目覚めること)
     これは
     人によっては『禊』といい
     人によっては『洗礼』という
     だが、見かけだけの形式が大事なのではない。
     『禊』『洗礼』と言ったとしても
     第一のことがきちんと約束されていて
     ようやく、
     水と霊によって、目覚めて、生まれることが可能となる。
     それ以外では水遊びでしかないとさえ言える
     このようにして
     生まれるのでなければ
     神々とあいまみえることはおろか、
     霊として成長することもむずかしくなってしまう。
     あえて言いなおそう。
     『人は、水と霊によって生まれなければ
      神の国に入ることは出来ない。
      肉から生まれたものは肉であり
      霊から生まれたものは霊である』
     ・・・
     これが、第二である。
     ・・・
     つぎに、
     このようにして新たに生まれたのであるならば、
     その人は、霊によって生まれたので
     霊は風のごとし、風もまた霊のごとしであるがゆえに、
     その人は、まさに風のごとし。
     風は、流れるように進む
     時に強い力を生むけれども
     基本的には、物事に逆らわずに流れていき
     いつの間にか
     周囲の合間を縫い、適切に流れ、のみこみ
     ある方向へと流れて行く。
     霊から生まれた人は、この風の様に
     いずこからか訪れ、
     人々の間を通り、流れ、包み込み、
     ある方向へと皆を導き、流れていく
     以上が、霊から生まれた人のありかたであり、
     これが、第三である
     ・・・
     さて、
     これ以上のことは、
     どんなに論じても意味はない。
     今話したこと、
     これが、わからなければ
     これが、伝わらなければ
     宇宙がどうであるかとか、神がどうであるかとか
     話したところで、空論にすぎず、
     ましてや信じることもできないだろう。
     ・・・
     以上を振り返り、
     改めてあなたに伝える。
     ・・・
     私も、まず導いてもらい、打ち込み、おこなったのだ。
     周りの者も同じように、打ち込み、おこなったのだ。
     そして、それぞれが
     「水と霊によって上から生まれた」のである
     ・・・
     私の話は、とどのつまり以上である。
     さて、
     あなたは、どうする?



※以上、千 直井(せん なおい)sennaoi の手記より


<底本 Incipit Evangelium Secundum Iohannemm 3:1-12>


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