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「ほんたうの幸福」(本当の幸福)

公開日: 2008年10月8日水曜日 「霊的」ということ 宗教にまつわる話

<宮沢賢治『銀河鉄道の夜』 -旧版- >より


「けれどもほんたうのさいはいは一体何だらう。」

ジョバンニが云ひました。

(中略)

「あゝマジェランの星雲だ。
 さあもうきっと僕は僕のために、
 僕のお母さんのために、
 カムパネルラのために
 みんなのために
 ほんたうのほんたうの幸福をさがすぞ。」

ジョバンニは唇を噛んでそのマジェランの星雲をのぞんで立ました。
そのいちばん幸福なそのひとのために!

(中略)

「僕きっとまっすぐに進みます。
 きっとほんたうの幸福を求めます。」

ジョバンニは力強く云ひました。



<宮沢賢治『銀河鉄道の夜』 -旧版- >より




そして、
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のこの箇所を読んで、
みんながみんな、それぞれがめいめい
口々に「ほんたうの幸福」について語るため

何が「ほんたうの幸福」かわからない。

そういうときはしょうがない。
「あのやさしいセロのやうな声」の主の
「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人」
のように言うしかない。

「あゝ、わたくしもそれをもとめてゐる。」

と・・・


「ほんたうの幸福」


観念的に、いろいろなことを言われるが
きっと、
「ほんたう」がわかることが必要だと自分は思う。

さて、
「ほんたう」とは何なのだ?


人の「ほんたう」であり
自分の「ほんたう」であり
世の中の「ほんたう」であり
地上とあの世を含んだ世界の「ほんたう」であるのだろう。


自分は、それゆえ
「ほんたう」を求めて「霊魂学」を学ぶ。

そして、
「ほんたう」は観念ではないので
頭をひねってもわからないので、精進をする。

精進とは、自分の場合「禊」や「鎮魂」という
霊的トレーニングである。

他の人から見たら、
自分は、ジョバンニではなく、
銀河鉄道を途中下車するあの青年やカムパネルラに見えるだろう。

でも、
「ほんたうの幸福」は観念ではない。
頭をいくらひねってもムダだ。
また、
「○○で幸福になれる!」と言われるような幸福も
「ほんたうの幸福」とは言えないだろう。
だから、
「ほんたうの幸福」を求めるなら、
まっすぐに進むしかないのだ。


そして、
きっと「ほんたう」は「ほんたうの神さま」にしかわからない。

では、
せめて、
何らかの方法で

「ほんたうの神さま」に向かって「まっすぐに進む」ことが必要だ

その道、すなわち
あの「大人」がジョバンニに言ったこと、
「あのプレシオスの鎖を解かなければならない。」
というのは、

自分にとって、
「霊的カルマ」を解くためのトレーニングである
「神伝禊法」の道となる。
と自分は考えている。




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