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なんてこった!「スピリチュアリティ」

公開日: 2008年10月31日金曜日 「霊的」ということ


そのタイミングは、唐突に訪れた。

仕事中のことである。

人前で「スピリチュアリティ」の説明をしなければならなくなった。

しかし・・・

そもそも
仕事で「スピリチュアリティ」の話をするというのは
自分の場合 (に限らなく世間的にもそうであろうが) は、
相当に違和感のある事態である。

自分は、
霊的な話をする機会があればいいと
常々思っている

しかし・・・

今回のこれは、
自分には大変厄介な事態である。

というのは、
「スピリチュアリティ」といっても
「霊魂」の話ではないからである。


「スピリチュアリティ」という言葉は
"Spirituality"をカタカナで表記したものであり、
その英語を和訳すると
普通は「霊性」となる。

単純に言えば「霊」の話である。

しかし、
「スピリチュアリティ」という言葉は
日本語の「霊」がもつニュアンスと
いささか趣きが異なる。

何せ、
WHO(世界保健機関)の「健康」定義が
改正されるかどうかという話にさえ登場する。

そう、
自分が説明を要求された
「スピリチュアリティ」とは
宗教的な意味ではなく、
医療分野で用いられる
「実存的」とか「精神性」とか「自我の本質性」の意味を
強く有する方の
「スピリチュアリティ」であって、

宗教的、もっと言えば
神聖な霊的実在に関する「霊性」の話は
できないのである。

なので、心の中で思った。

「なんてこった!
 言葉は『霊』のことなのに
 『霊』のことではない
 そんな『スピリチュアリティ』だなんて
 まるで、絵に描いた餅
 クリープを入れないコーヒー(ネタが古い・・・)
 気のぬけたビールと同じじゃあないか!」

で、
こうしてみんなが語りやすくなる
宗教と直接関係のない
多くの人間に共通項をもたせようとする
「スピリチュアリティ」という
言葉が世の中に浸透すればするほど、

ほんとうの「霊」の話は遠のいてしまう・・・

しかも、その遠のかせる一端を
その遠のかせる片棒を
自分が担ぐだなんて・・・

はじめはチャンスかな?
とか思ったけど
こんな状況では
「霊」ではない
「スピリチュアリティ」の話しか
できなかった・・・


ああ、本当は言いたい!

「霊は霊だろう。
 実在がどうとか、
 精神性がどうとか、
 そんな抽象的なことじゃなく
 死と隣接して
 死後存続を人間に考えさせたり
 物質ではない世界を考えさせたり
 メメント・モリであり、
 人間の正体って何かを真剣に考えさせるような
 霊は霊だろう。
 個別な宗教色をおそれて
 当たり障りのなくなった
 『スピリチュアリティ』なんて
 本質的には何の意味もない
 心理的なゴマカシに等しいだろう。
 恐れずに
 よく見つめることが必要だ。
 霊は霊なんだ・・・」


って、仕事関連では
そんな発言も出来ない・・・((((((^_^;)

なんでしょうかね。
当たり障りのない話は
価値観の変更を迫らないし
単なる「教養」で終わらせられるし
特殊な見られ方をすることもないから
話しやすいし、聞きやすいし

でも、それは本当は
気の抜けたビールと同じで
本質的には意味がないに等しいんだ。

けれども、
本質的な「霊」の話は
人の価値観を揺さぶるし
特殊な立場を意識させるし
安穏で、楽しい日々の中での「忘却」を
吹っ飛ばして
冷や水をかぶせて
目を開かせるという
本当は
ギョッとする
目覚めさせる話なんだ。

でも、おそらく
肉体の心理は
その「忘却」を吹っ飛ばし、
価値観を揺さぶり、
どう生きていくべきなのかを
問うてくる本質的な話は
「怖い」んだ。

知ってしまったら
もう、忘却して誤魔化すわけには
いかなくなるから・・・


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