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「メメント・モリ」と「都市」

公開日: 2008年12月10日水曜日 日常生活の片隅


「死を想え・・・」
Memento mori


実に、その「死」を忘れるために、そこから目をそむけるために
娯楽があり、享楽があり、
そして、
死を忘却できるような要塞・・・すなわち「都市」を人間は作った。

死の危険は少なくなり住みやすくなった。
しかし、
本当にそれでよかったのだろうか?

確かに、
身も震えるような恐れから身を守ることはでき、
生活の中身を問うことができるようになり、
生き様をあれこれと考える余裕は出来た。

しかし、

もしや、
手に入れた「便利さ」とは
肝心の何かを、見落としてしまうような
目をそむけさせるような、

いつまで経っても
大事なところにたどり着けない「便利さ」
だったのではなかろうか
時々、都市というものを考えてみる。
なんというのか、

本当は向こう側に行った方が良かったのに
こちら側に作ってしまった
硬い硬い外壁に守られた
繭の中で
ますます内に内に籠もって
見るべきものを見ないような
愚者の楽園

都市とは、虚空に作られた
そういう、お籠もり用の「繭」のように
思えることがある。

いつ、人は飛び立つのか。

というより・・・
自分が飛び立ったかどうか
なのではあるが・・・


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