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かわりに登場するのは「いいもの」なのか?

公開日: 2008年12月22日月曜日 日常生活の片隅


本屋に行き、昔に名著と思っていた本がなく、
検索をかけたら取り寄せとなり、
仕方なくインターネット通販で調べると「絶版」になっていた本

昔のしぶい佳作の曲なるも
CD化されることなく、
中古レコード販売でLPを探さなければ
聞くことの出来ない曲

いろいろな「いいもの」が消えていく。

どうして消えるのか?


「あれは・・・
 今は売れませんからね・・・」


なるほど、
「売れるかどうか」という価値観。


それで、内容がちょっとどうかなと思う本でも
宣伝のやり方の工夫の結果、
店頭に賑わいを見せて並ぶわけだ。


しかし、
ずいぶんと「いいもの」が消えてしまった。
それに替わる魅力的な「いいもの」が
出てきてくれるのなら、いいのだけれど・・・


もしかすると・・・
神や霊的存在についても
「売れないから」とか
「今出られても都合が悪い」とか
そういう理由で
「別のモノ」に
置き換えられたりしてはいないだろうな

もし、
そんなことがあったら、
意図的にねじ曲げられた場合
知らない人々は「紛い物(まがいもの)」の神仏を
拝んでしまう危険もある。

もしや
「拝む」という行為も
今の人間が行っている方法は
いつの間にか「紛い物(まがいもの)」の行為に
変わってしまった「なれの果て」の結果かもしれない。


日本のある「古典」の話を耳にすると
どうしてもそういうことを
考えてしまう。


日本のある「古典」の成立の不透明さについて触れた
ある文庫本をこの間、読み返してみて
こんなことを考えてしまった。


さても、歴史はよくわからない。
人々が語り継ぐ宗教的な話も
誰かの手によって
ねじ曲げられてしまっている
可能性は否定できない。

厄介なものです・・・


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