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その「幸福」のお願いはとどのつまり・・・

公開日: 2008年12月23日火曜日 宗教にまつわる話


誰かが神社、お寺、あるいは宗教的施設で祈っている


「どうか、○○が△△で◇◇となりますように・・・」


それは、いったい
どういう「お願い」なのか?


ただし、
世の中には、信じられないくらい気の毒な人もいる。
そういう人の「お願い」は
「なるほど、それは確かにそうだろう」
と誰もがうなずくものであり、
そういう「お願い」は、他人事ながら
かなうといいなと、思うものである。

しかし、
特に生活に困っているわけでもなく
ものすごく大変な状況にあるわけでもない人が
「お願い」ごとをする場合

とどのつまり、
そういった「お願い」ごとは、大抵は・・・


●世の中の人達の味わう幸福を自分にも到達させてほしい

    ということであり、言い換えると、

●今の状況がどうあれ、安楽で快適な状況になってほしい

    というある種「都合のいい」考えでもあり、また、

●その状況になるため「○○がほしい」

    と何かを手に入れたいという考えが入っている上に
    途中の手間を意識していないため
    余計な手間が省かれてほしい
    という「苦労をしたくない」お願い

ということになるのだろうか・・・

その状況になるために
何かを手に入れるとなると、
・・・
その願望達成した状態は
結果的に「勝つ」ことであり、
それはとりもなおさず、
誰かが、それを手に入れらずに
「負け」ている。

いうまでもないかもしれないが、
この世の中の価値観や
需要と供給のバランスを考えると
みんなが「勝つ」ということは
ありえない。

この世の中、人間社会で
「勝つ」ということが幸せならば
「勝つ」結果を手に入れるために
誰かが「負け」ていることを
避けられなく、
誰かの「負け」が自分の幸せの
前提になっている。


となればつまり、


「幸福」を祈るということは、
それが何かを手に入れるような事柄の場合であれば、
人間社会のしくみや限界を考えると
みんなが手に入れられるわけではないことを
「自分に下さい」ということになる。

「祈る人」がそのしくみを見つめたくないため
都合よく、途中の苦労を考えることもなく
自分たちに「幸福」が訪れて欲しいという
「虫のいい」勝手な要求の押しつけになってしまうこととなる。


さて、

では、いったいどういう存在
その「虫のいい」お願いを叶えてくれるのだろう。


いや、そもそも
宗教的施設はいつから
「お願い」受け付け所になったのだろう。


神さまが人間の「お願い」を
叶えてくれると、自然に皆思いこんでいるが
本当にそうなのだろうか。

神さまは
本当は別の理由で人間と関わっているとか
神さまには神さまの都合があるとか

人間の想像するような神さまではないかもしれない。

そんなことを
少しも考え直すこともなく、
いつも人間は当然であるかのように
「お願い」を神さまになげている。


さて・・・


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