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三機子(さんきし)

公開日: 2009年1月10日土曜日 ある寓話


(※この話は、すでに存在する話を読み換えた遊びです)


人間達の妙な自負心が、その3人の機械の子を生み出した。
その子達は、古代の神話の「三貴子(さんきし)」になぞらえて
「三機子(さんきし)」
とも言われる。

一人目は、太陽の力を強く受けすぎたため
時が満ちるまで、御仏の像の中の暗い空間に封印される
こととなった。

一人目が「太陽の子」と言えるとすると
二人目は「月の子」「葛藤の子」と言え
三人目は「力・破壊の子」とも言える

とりわけ、
二人目の子が、苦悩と悲しみの道を歩んだこと、
三人目の子が、人間の都合に振り回され
  真の正体を理解されず、
  途中で抹殺されて姿を消し、
  紛い物に置き換わってしまうことは
なんとも、悲しい・・・


さて、
今回は二人目の子の話をしてみる。


二人目の子、
別名「月の子」「葛藤の子」は
闇(ダーク)より生まれた。

人間の善悪の都合により
「良心回路」と呼ばれる
善悪の木の実を与えられた。

その善悪の木の実は
「不完全」
と言い訳されているが
実は、それで「完成状態」なのであった。

人間の言う「善悪」とは、
人間の都合による価値観の結果であって
真理とはとても呼べるものではない。

それゆえ、
程度の低い「良心回路」ほど悩むことのない「正義」を持ち
高度な「良心回路」ほど、自問自答の結果「葛藤」する。

そういうものなのである。

あわれなるかな
二人目の子よ

それゆえに
二人目の子は、
自問自答し、

父なる声と
もう一人の父(母?)なる笛の音に
それぞれの心を呼び起こされ

善と悪の狭間を揺れ動き
その体までが
善と悪の二面性
光と闇の二面性
を体現し、まるで半月(ハーフムーン)そのもの
であった。


しかし、
葛藤とは、本来、
人間が自分たちの身に受け
自分たちが乗り越えるものだというのに

自分たちがやるべきことを
なおざりにして
二人目の子に押しつけてしまった・・・

そんな人間達の善悪など無意味である。


ああ、気の毒なるかな
二人目の子よ・・・


君は、人間達にだまされて
「人間になりたい」
といわなくてもいい。

人間になどならなくていい。


「良心回路」とは
人間の身勝手さからくる価値観の強要である。

しかし、
その良心回路ゆえに「自由意志」があるとも言える。

だが、
一方で「自由意志」があるがために判断を迫られる。
善悪や正しさを考えなければならなくなる。
それらを
自分で選ばなければならなくなる。

その自由は
自由なれども、迷い道である。

人間は
自分たちでさえも上手に出来ないことを
機械である二人目の子にも課してしまった。


いっそ
良心回路をはずして
人間から「自由」になろうか
あるいは・・・

・・・・・・


人間はそもそも本当の「三貴子」を
理解しようとせず、
自分たちの力に慢心し
紛い物の「三機子」を造ってしまった。

ああ、気の毒なるかな
二人目の子よ・・・


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