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宗教・霊性を「たしなむ」ことで終わる現代日本人

公開日: 2009年2月4日水曜日 「霊的」ということ 宗教にまつわる話



タイトルの通り、

そう、

宗教と霊性は「たしなむ」ことで終わらせる現代日本人



逆に言うと・・・

「たしなむ」レベルでは
現代の日本の人々は、
なかなかに宗教心を持ち
十分霊的であるように見える。


なるほど、

神仏に手を合わせるし
先祖の祖霊を認めていて親近感を感じているし
死に際しては多少真顔にあれこれ考えるし

スタイルだけ見ていると
なかなか霊的なように見える

が、

しかしそれで終わりである。
それ以上のことは考えない。


だから、このような
一見した宗教性や霊的に見える態度は、
それは実は、

本当の宗教心ではないし
本当に霊的であるわけでもない。


ここで「たしなまれている」
宗教心や霊性とは、

ごく世間的に話が通じる程度や、
他の人との共通言語にとどまる程度で
終わりである。


なので・・・


本気で宗教心をあらわした人や
本当に霊性を追求する人と接近すると

「気持ち悪い」

と遠ざけるかもしれない。

・・・たぶん

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とは言ってはみたものの

自分自身もついこの間まで
「たしなむ」ことで終わる現代日本人
だったので

偉そうなことは言えないのだが・・・

トホホ・・・(>_<)

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まあその、

こういった現代の日本人の多くは、

マジメに霊的なことを考える人から見ると、

「ママゴト」や「ごっこ遊び」のような
宗教心や霊的なスタイルにとどまるように
見えるのかもしれない。

つまり、
そんな雰囲気にひたっているだけで
誰もマジメに追求しないで終わらせたいらしい。


とすると・・・


マジメに追求するわけではないので、
霊的に高貴な存在と接点をもてそうに
なったとしても

相互の意図が合致することはないだろうし
ゆえに接点ももてないし

別のチャンスから
接点をもてそうになっても
目先の利益から「ありがたい御利益」を
目玉にした自称「神仏」といった
別のものに目移りしたりで、

結局、「たしなむ」レベルの宗教心や霊性など
何の意味もないのかもしれない。

でも・・・

だからといって
宗教や霊的な事柄に真剣な人物が、
心配して、真顔でものを言い始めたとすると

「気持ち悪い」
「なんかこわい」

と、話を聞かずに遠ざけるのであるから
どうにもこうにも
なりづらい

困ったなぁ・・・(>_<)


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追記

たとえば・・・

「たしなみ」とは、「お月見」のようなものなり
真剣な求道とは、太陽光を求むるようなものなり

となれば・・・

夜半の月光と
真昼の太陽光とでは
「光」が違うので

たしかに月光派の人々は
真昼の太陽光に対して

「気持ち悪い」
「なんかこわい」

と思うのも当然・・・



納得・・・


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