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もはや・・・(「イソーの書」 "Aesoh" 参考)・・・(もしもの世界)

公開日: 2009年3月5日木曜日 宗教にまつわる話 創作童話-もしもの世界


(創作童話−もしもの世界) ※この話はフィクションです


(以下は、「イソーの書」"Aesoh" を参考としました。
 しかし、
 基本的には書き手のフィクションと言うほうが
 正確と思われます。ご了承下さい。)

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もはや・・・

人々と、交流が困難になった。

人々は、真に我らを求めない。
人々は、今取り巻かれている自分の状況を何とかしてほしいとしか考えていない。

人々にとっては、今自分たちが生きている世界で
自分たちの価値観による幸福を保証してくれる存在こそを求めている。

我らはそのような価値観による幸福を「不幸の始まり」と、とらえる
したがって

・価値観の相違
・想念の違い
・質量の異なること

以上のことから、
我らと人々は、もはや交流が困難になった。
人々は我らを求めない。
求めないものに対して、彼らの世界にまで干渉することはできない。

もし、求めるものがいるならば
彼らの世界であろうとも、手を差し伸べる方法はある。
しかし、求めないのであれば、いかんともしがたい

そういう状況であるから、
我らは、「人々の神」などと呼ばれるわけもないし
人々も、我らの「導く民」と呼べるものでもない

また、
人々の思いも我らに届くことがないのと同様
我らの思いも、人々に届くことはない。

相互交流が不能になっている

そして、人々が「お願い」を願うのは
我らが嘆かわしく思う発展途上の存在である

人々は、自分たちが「神」とみなした、もしくは
自称「神」と、運命を共にすることに
何の危機感もない。

もちろん我らも「神」ではない。
「神」と人間は交流出来ない。
人間は真に「神」を知らないし
「我ら」をも知らない。
我らとて神は遠い。

そうした、真に尊いこと、真におごそかなることに
想いを巡らせることもないが故に

未熟な存在、自称「神」とともに
人々は霊的に汚れていってしまう・・・

それを人々が自分で求めるのだから
ますます、手の施しようがない・・・

もはや・・・


たとえば、古書にいわく

ハマフロル(hamahurol  英語:elpoepymton)
インマオル(immaol  英語:deitipton)

そんな隠し名を持ってしまうと
人々は不幸と言えよう。

これの意味は、

「汝ら、我が民に非ず」
「もはや、憐れみなし」

となる。


イソーよ
もし、そなたに我らの意図が伝わるのなら

こうして悲しい世の中ではあるけれども
一人、世間を避けるのはよくない

人々が我らを求めず、
よごれた空間にいるとしても

イソーよ
人々の中にいけ
まだ、我らは諦めたわけではない。

イソーよ
身近な者達が、浮気をするがごとくに、
あちらこちらに気をとられ
真に大切なものを見るまでに時間がかかろうとも
できるだけのことをなすがよい。
我らも、まだまだ諦めてはいない。

やがてそなた達の子どもの時代がやってくる
現在人々が持っている「隠し名」

「汝ら、我が民に非ず」
「もはや、憐れみなし」

これらの名を逆転させよ。
そして
そなた達の子どもに新しい名を送れるように
我らは期待する。



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