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ウィリアム・スコットのつぶやき #1

公開日: 2009年3月22日日曜日 ある寓話


(※これは、ある架空の人物の発言を自分なりに読み換えた遊びです)



「この男の経歴は名誉ある人物のものじゃないか。」

と周りの人達は、
ある苦悩に満ちた人物を称してそう言った。


「確かにそうだろうね。」とウィリアム・スコットは言った。

「今現在の社会に生きる人物として
 ここまでの彼は
 『成功した人間』で
 あるだろうし、
 立派な業績も残して
 いる。
 ある時点に来るまでは
 何も悪いことをして
 いないようなので
 非の打ち所がない。
 しかし、それは
 地上の社会にのみ
 価値観をおいた場合に
 限った話だ。
 ・・・
 真に人間について
 語るのであれば
 潜在する深いこころ
 すなわち「霊魂学」で言うところの
 『霊的カルマ』に照らして考えてみるとなおよい。
 ・・・
 カルマというと、
 運命の作用反作用という説明で
 その説明を終わってしまう例を
 目にすることが多いが
 それは、本当のカルマの仕組みや正体が
 よくわかっていない説明なんだ。
 できれば多くの人間に「霊魂学」を
 学んでほしいところだ。
 ・・・
 さて、先ほどの続きだが、 
 例の「立派な人物」が
 どうして道を間違えたか?
 ということについてだけれども

 例えば木にしたってそうなんだが、
 ある高さまで真っ直ぐに育って、
 それから突然おかしな方向に向かって、
 奇妙な具合に伸びるものがある。

 人間にもよくあることなんだ。

 僕が思うに、個人の人生は
 本人のこれまでの過去世の歩みの中で
 強い影響力を持っている心情の影響を
 その時々において受けた経過と言えるんだ。

 子供の頃は、
 本人が十分成長していないので
 比較的真っ直ぐに
 木のように伸びていくのだが
 しかし、
 本人の成長が十分になり
 いろいろな経験をするようになると
 その経験をキッカケに
 過去世の心情が1つまた1つ
 あらわれてくるようなのだ。

 人の人生は、いわば、
 いろいろな過去の経験の歴史の再表現と
 言えるのかもしれないのだ。

 となると、中には
 再表現した方がいいかもしれない心情もあれば
 再表現しないほうがいいかもしれない心情もある
 できれば、再表現させたくない心情もある
 これらに対して
 人はどうしたらいいのだろう。

 実は、古くより
 そうした人の奥底に潜む心情に対して
 霊的トレーニングなるものが答えを示してきた。
 日本には、「禊(みそぎ)」と呼ばれるものがあり
 イエス・キリストの聖霊のバプテスマもこれと同様である

 したがって、
 形だけの真似事ではない真の霊的トレーニングを行い、
 道を踏み外す事態が起きないよう
 祈るばかりである。

 しかしながら、道を踏み外したとしても
 終わりというわけではない。
 確かに、
 してしまったことについて
 本人は相当苦しむだろう。
 しかし、たとえ、
 ある木のように曲がってしまったからといって
 それで無価値であるわけがない。
 
 だが、ともすると
 本人がせっかくの機会を棒に振って
 自ら救われない道にますますのめり込んでいくことも
 実はあるのだ。
 そうなると、本人の意思なので
 周囲はどうにもできない。
 やがて、あまり良くない存在と縁ができ
 さらに悲惨な結果になることもある。

 自分がそういう間違えた道を
 歩くことのないよう自戒したいものだ


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