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「見るな」の禁 #1「舌切り雀」

公開日: 2009年4月17日金曜日 「霊的」ということ 宗教にまつわる話


「見るな」の禁
「見るな」のタブー、というものがある。

民話、説話、神話に数多くある。

いろいろな人がさまざまに解釈しているので
本来の意味がどういうものかを言い切るのは
むずかしいのかもしれない。

しかしながら、
出来るだけ共通的な要点を探してみると、

この話は、

異なる世界や異なる存在について
十分な準備が出来ていないうちに
安易な好奇心に負けて、見てしまった

と言うことになるだろうか。



さて・・・

話の焦点を「舌切り雀」にあわせてみよう。


人は皆、自分に相応しい「つづら」を背負っている。
「大きなつづら」かもしれないし
「小さなつづら」かもしれない。

つづらとは

それぞれの人間がもつ
未発達の(霊的な)心情、未解決の(霊的な)心情
のように思う。

それは、霊的トレーニングを経て
準備が出来ているのであれば、
やがて
心情も成長し、
金銀、綾錦のように変容するのかもしれないが、

準備も出来ていないのに
未発達な心情、未解決な心情を見るのは
すなわち向き合うというのは、
まさに、
毒虫や化け物のようなものとの出会いなのかもしれない。

しかしながら
その、毒虫や化け物は
他ならぬ自分自身のひとつであるのだが・・・

こうしてみると

つづらとは
「霊的カルマ」のような感じもする。


また、一方で

「異なる世界や異なる存在について
 十分な準備が出来ていないうちに
 安易な好奇心に負けて、見てしまった」

と言うのは、こうも言える。


霊的世界の厳しさ難しさや
霊的世界の本当の有様を
十分に理解しないうちに
安易に、霊感や霊能力などにうつつをぬかし
その結果
「化け物」を見てしまった・・・


というような事態。


だから、雀(羽の生えた存在)は言う。

「家に帰るまでは」・・・たましいのふるさとに帰っていないうちに
「見るな」・・・・・・・・・霊感や霊能力など求めるな

念を押して言っている


それなのに、人間の中に


家に帰ってもいないのに・・・地上の生活者であるうちに
見てしまった・・・・・・・・・・霊感や霊能力を得てしまった

という、

雀(羽の生えた存在)の忠告を
重く受けとめなかった人間もいる。


結局どうなるのかは、
「舌切り雀」が語っている・・・


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