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随筆・道程百景 #4「放蕩息子」

公開日: 2009年5月22日金曜日 随筆・道程百景


おそらく・・・


おそらく、人間は・・・

高貴な霊的存在(守護霊、指導霊の方々)
から見ると、

ほとんど多くの人間は


「放蕩息子(ほうとうむすこ)」「どら息子」


に見えるのではないか

と自分は思う。




放蕩息子(人間)は、あるとき言った。

「自分には、権利と使命がある。

 地上に生まれた可能性と権利を
 存分に使って、
 自分の人生を
 思うように生きてみたい。

 だから、
 ここを出て
 自分の自由意志で
 道を切り開き
 どこまで出来るか
 試してみたい!」


なるほど、言うことはもっともかもしれない。
「自分の意志で頑張る」
一見立派に見える。


しかし、しかし・・・

そういうことを口にした放蕩息子の多くは

地上の雑事と
地上的価値観と
様々な闘いと競争と
そして、地上的な善悪や正義、
うまくやる生き方、

そういったものにこだわるあまり

霊的生命体としての本質を
地上的倫理にすりかえ、
そうして
霊的生命体としては
結局、退歩し、

あげくに
身につけていた
霊的な気の質を下げ
肉体のみならず
霊的身体さえも
ボロボロになり
どうにもこうにもならなく

「神様!助けて!」

と都合良いお願いばかりの生命体に
なってしまう

そうして、
都合の良いお願いが通らないことに
気づいてようやく

自分が
霊的生命体であることに
立ち返り、

父達(指導霊団)のもとに
帰ろうとする


しかし、

放蕩の結果
帰ることも
うまくできなくなってしまい
ますます混乱の世界に
埋もれていく悲しい放蕩息子もいる


そんな息子達の中で、

ある放蕩息子は、

自分が求めてきた
あまりに表面的な
成功や幸福、満足などは

恒久的なものでなく

いつかは失われて
そのことで嘆き
かえって
自分を苦しめることに気づいて


忘れていた本質的なことを
思い出し、思い起こし
真剣に反省し
真剣に祈った。


かくして、
「たましいの帰り道」
につながり
無事に、道に合流できた
放蕩息子が、

一歩また一歩
見えにくい暗いところから
少しずつ、

一歩また一歩と
近づいてきて
見えてくるようになった時

父(守護霊)や家族(指導霊団)は

一度は見失い
もうダメかもしれない
とさえ思った
放蕩息子の帰還
駆け寄らんばかりに近づこうとし、

涙を流して
抱き寄せ、祝福したいと
願うのかもしれない。


<底本 Incipit Evangelium Secundum Lucam 15:11-32>


放蕩息子(地上の人間)たちよ

はやく、気づいて
本来の道に合流せよ

まさに、まさに・・・



さて、余談。


自分は「放蕩息子」か?

と考えてみる。


なるほど、そう言えば

かつては間違いなくそうだった。



では、今はどうだろうか?

一応、道を歩いてはいるので、
放蕩はしていないと思うが、

しかし、しかし・・・

だからといって
デキが良いわけではない。

恥ずかしながら、

「愚息」

であるのは間違いない (^^ゞ


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3 件のコメント :

匿名 さんのコメント...
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石枩(いしまつ) さんのコメント...