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随筆・道程百景 #8「その石をごらん」

公開日: 2009年6月7日日曜日 随筆・道程百景


(この話は一修行者のフィクションです)


「霊的修行を教えてください」


そう懇願して、何度も断られたが
ようやく入門を許された青年は
ある不思議な作法を教わった。

教わった作法は
青年がイメージしていた「霊的修行」と
少々違っていた。

日々行ってはみたものの
意味がわからなかった。

「霊的修行」というからには
その本質は何だろう?
「霊的修行」というからには
霊的な感性が増すのだろう・・・つまり霊感が出る・・・
と思って
指導の先生に尋ねたところ、
そんなに単純な話ではない、それは間違いだ、と言われた


「詳しいことは言えないが、
 そんなに霊的修行の本質が知りたいのなら
 そこの赤い石をごらん・・・

 その赤い石を、
 きれいにするにはどうしたらいいだろうか?
 お主はきれいにすることが出来るだろうか?
 ・・・
 この問いに答えられるようになったら、
 先ほどの質問の答えのひとつもわかるであろう・・・」


なるほど、では!

と、青年は霊的修行はもちろん日々行うとして、
それ以外の時間の空いている時に
赤い石をきれいにするべく努力を始めた。


しかし、
これは大変なことであった、と青年は気づいた。

意外なことにこの石はどのくらい大きいのかよくわからない。
他の石に隠れて見えなかったが、
地に埋もれている箇所が相当に大きそうで全体像がつかめない。

だからといって諦めるわけにもいかないので、
せめて、目に見えるところくらいは・・・と
目に見えるところを磨き続けた。

日々、磨いて
日々、磨いて
相当にきれいになったと思ったそんなある日、

大雨が降った。

雨が上がった後の赤い石を見に行ったら
なんと!
泥まみれに汚れていた・・・

「どうして泥まみれになるんだ?
 この赤い石は見えていないところに
 汚れをもっていたのか?」

青年は、赤い石を磨き続ける日々を送り
「自分は赤い石をよく知っているのだ」と自負していた。

しかし、この大雨で気づいた
自分は、赤い石のほんの一部、見えるところしか知らなかった。


この後、青年はまた赤い石を磨き続けたが
時折、大雨によって赤い石の隠れた汚れが表面化することが
何度か繰り返された。

大雨が憎らしく思える時もあったが、
むしろ、大雨は見えない箇所の汚れを
洗い出している、ように思えてきた。

・・・

さて、そんなある日のこと

比較的、大きな地震が起こった。
幸い、周囲は大きな事故も負傷者もなく
無事だった。

青年は、よもや!と思い
赤い石のもとへ走ったら
なんと!
新たなことが起こっていた。

今まで地中に隠れていた箇所がいくらか地表の上に顔を出していた。
しかも、周囲の土に大きなひび割れがおこり、
赤い石のさらに根元にあたるところが少し見えていた。

新しく地表に顔を出した赤い石の一部やひび割れから見える根元は、
色も赤ではなく、どす黒い色であり、
なんだかじめじめと汚れた土や虫の死骸やらにまみれて
きたならしく感じてしまう様子であった。

青年は、
これまでさんざんつきあってきた赤い石に
愛着に似たものさえ感じるようになっていたのだが、
いま、改めて赤い石の見えなかったところを
まざまざと見せつけられると
嫌悪感、いやな気分を、どうしても感じてしまい
赤い石全体を嫌悪してしまいそうになっていた。

「とはいえ、これも赤い石の一面には違いない
 この石は大きすぎて正体がさっぱりわからない」

やがて、
赤い石のじめじめしていた箇所やどす黒い箇所に
日の光が燦々と降り注ぎ、
だんだん乾いてきて暖かみさえ増すようになってきた。


そうして、日々が過ぎたある日

青年は、赤い石について質問された。

「赤い石に起こったことを簡単に話してみなさい」

「えーと
 自分は、せめて見えるところくらいは、と思い
 日々、磨きました。
 ・・・
 しかし、大雨が時々降ると
 これまで見えていなかった汚れが表面に出てきました。
 とすると、自分が磨いていたのは上っ面だけで
 赤い石の中がどうなっているかは
 大雨が降らないと気づけないことがわかりました。
 ・・・
 大雨だけではなく、地震によって
 これまで見えていなかった箇所が
 地表に表れてきました。
 どす黒くじめじめして、正直、嫌悪感をおぼえました。
 ・・・
 ところが、その頃ちょうど天候の良いときで
 日の光が燦々と降り注ぎ、赤い石に光が当たり
 どす黒くじめじめしていたところも
 だんだん乾燥して赤い石全体が暖かくなることもありました。
 このことに励まされて、やめたくなっていた赤い石磨きを
 なんとか続けることができました。
 ・・・
 自分の力であの赤い石を磨くのには限界があります。
 自分の力だけでは、所詮、表面をきれいにするので精一杯です。
 本当にあの赤い石をきれいにするには、
 そう、今回の場合では、
 大雨、地震、日の光による乾燥、
 これらが必要でした。
 ・・・
 ところで
 あの赤い石は大きすぎてさっぱり全体像がつかめません。
 磨いてはみたものの、どこまできれいになっているのかも
 さっぱりわかりません。
 ・・・
 あの赤い石は何なのですか?」

「あれか・・・あれは『人間の見本』じゃよ
 ・・・
 知らんでもいいが、あれには名前があってなぁ
 名前は・・・『………』という・・・」

「ああ・・・
 なるほど そうだったんですか!
 ・・・
 ありがとうございました。」


こうして、青年はまた一歩、
霊的修行の道を進んだとか
・・・
という話であったそうな


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【若干の補足】

人間は赤い石と同じで、
見えていない部分がたくさんある。

それは、大雨にさらされたり、
見えないところをめくって見るとかしないとわからない。
・・・
汚れているかもしれない。
形が複雑で入り組んでいるかもしれない。
思った以上にどす黒くきたないかもしれない。

普段、表面にあらわれている箇所を「自分」だと思っている人間には自分の正体もわからないかもしれない。

しかし、霊的修行をしないで、
石の表面を磨くだけで終わったり、
理屈をああだこうだ言って悟った気持ちでいても
結局、
霊的修行をしていなければ、この話には意味がないかもしれない
つまり、
「絵に描いた餅」
でおわる。


(この話は一修行者のフィクションです)

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