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何をしたらよいかわからない・・・

公開日: 2009年8月13日木曜日 「霊的修行」 修行日記


自分が青少年だった頃、

とある偉い先生の講演が学校で行われました。


「自分は何をしたいのか?
 それがわからなくて
 自分の進路や方向性を見失っているのなら
 次のどちらかで考えてみるとよい
 ・・・
 (1)自分の寿命は無限にある。
  では何をしようと思うだろうか・・・

 (2)自分の寿命はあと1年しかない。
  では何をしようと思うだろうか・・・」


うろ覚えなので間違えている可能性がありますが
確かこんな話でした。


話の内容を言い換えてみますと、
進路や方向性が定まらない時
その時には、

・時間の制限を取っ払って自由に思いを巡らす→(1)の方法
・時間制限を設け、自分を追い込み追い立てる→(2)の方法


のどちらかの方法で考えるとよいそうです。


さて、
人はともかく
こと自分に関しては、

(2)の方法で自分を追い込み追い立てないと
結局、何にもしないで終わる

というさぼり癖が
根深くあるようです。


となると、
半年後か1年後には
寿命が来るんだ・・・というような気持ちで
考えていないと
10年経っても、20年経っても
結局、
食べて寝て遊んで泣き笑いして

「はて? 自分は結局、何をして過ごしたんだ?」

と、キョトンとしたまま「人生終わり」
となってしまうかもしれません。

これはあくまでも私個人の場合ですが・・・


確かに
こんな先の読めない時代では
半年後か1年後かに
自分がこの世を去っていたとしても
あまり不思議はないかもしれない、

と、思いを巡らせてみたとき、
自分の「やっておくべきだった」
ことは、
さて何だったかなぁ・・・

というようなことを
最近考えるようになりました。
(年齢もオッサン後半に差し掛かりましたし)


しかし、こんなことをいうと

「そんなこと考えてもしょうがないだろう」

と、人からは笑われることが多いのですが
まあ、自分なりに
大きな後悔は残したくないと願うものです。


そういえば、
数年前の自分と今を比べると
契山館の霊的トレーニングを習うことが
できたのは大変に大きな出来事でした。

20年くらい前から
「いつかは行法を習いたい」
と考えていましたので、
それは何とかかないましたし、
加えて、
ものの考え方や捕らえ方が
こうも変化するとは
自分にとっては
思いもよらないことだったからです。

いやはや、
霊的トレーニングというのは
うちこみ続けてみないことには、
その価値はわからないもののようです。


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