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通り過ぎた山門…(ちょっと想像)

公開日: 2009年11月22日日曜日 創作話集-「ちょっと想像」


※この話はフィクションです(とある思い出話の寓話)


ある人物がある山門を見つけた。

「なかなか見ることのない珍しい門だ」

そう思い、
いつかくぐってみよう
心にとめておいた。


ではなぜ、すぐにくぐらなかったのか

忙しかったから・・・
今はまだいい、と思ったから・・・


理由はいろいろ上げることができる

本当にそういう理由もあったが
くぐらなかったのは
むしろ別の事情が大きいかも知れない。

実は、その門は
幾つかの階段を登った先にあった。
つまりその山門に至るには
階段を登る必要があった。

その階段は「ふんぎり段」とか「勇気段」とか呼ばれているようで、
つまり、その山門に入るには石段を登る必要があり、
それにはちょっとした「ふんぎり」や「勇気」が必要であった、とのことらしい。


いやいや、門自体は
何か試しているわけでもないし
石段を登るのはちっともむずかしいものではない

しかし、その時代は、妙な時代だった。
ふんぎりがつかないのは・・・
石段を登れないのは・・・
その時代の空気になじんだからかも知れない。

その時代・・・

何かに興味を持てば、本やネットで調べたりすることには
恵まれている、いい時代。

その反面、さらに深く学ぼうとか身につけようとか
懸命に学んでいるグループの一員になって活動しようとか
そういう行為に及ぶと

「いや、あそこまでやろうとは思わないね」

というように、
打ち込む行為を、こわがったりする風潮。

そこまで打ち込むのは怖いから
と忌避してしまうことが普通に起こり、
打ち込む行為が避けられやすい時代。


それで、忌避した人達は
「だまされるのはゴメンだ」とか
「盲目的にならないで独自に行う」とか
自分の自由を守ろうとしていて
一見冷静に見えるけれども

結局「自分の都合」に縛られてしまい
不自由なのかも知れない。


ある時、
子供や青少年が「山門をくぐりたい」
と石段をあがりかけた時
周囲の大人がこぞって制止したこともあるという。

「そんなおかしなものに夢中になるな」
「やりたければ、自分でコツコツと学べばいいだろう」
「グループに入るのはいけない」

その子供や青少年は、自分が大人になった時に
再び、山門を思い出せるとよいけれども
周囲の大人達との人間関係は大変かも知れない。
価値観の違いはなかなかにむずかしい。


「グループなどに入らず、自分でコツコツと学べばいいだろう」

なるほど、この種類の説得はわりと耳にする。

自分でコツコツ・・・

本格的に学ぶ前の事前学習なら
それでもいいかもしれない

しかし例えば、職業のスキルにしても
現場の調査
機械の操作
特殊技能の習得
こういった事柄や類した事項は
指導者やチューターから
手ほどきを受けて、実地トレーニングを
経なければ身につきづらい

つまり、何かを身につけようと思うのであれば
学ぶ集団に所属することも必要だし、
「ふんぎり段」や「勇気段」という石段を登る程度の
行動力もあった方がいいだろう。

ところが、そこにためらいを持つ人々が増えてきたためか
その頃、
世の多くは、努力を要しない数多くの門で
あふれるようになったかのようだった。

例えば・・・

「幸せになれる」門
「成功する」門
「思いや願いはかなう」門
「次元が高い」門
「愛と思いやりが大事だ」門

などなど

門構えや看板など
なかなかに立派で
しかも親しみやすく
誰もが納得する看板の言葉が並び、
入口にも石段はなく
ゆるやかで入りやすく
さぞかし、良い道への門口なのだろうと
思うのも当然と思われる、
そんな門が数多くあふれていた。


そうした中で、この話の当初に登場した人物
すなわち、石段の上にある山門を気にかけていた人物も
山門を通りすぎてしまったとか・・・

日々の生活に追われることや
他の入りやすくきらびやかな門に気をとられることが続き

石段を登って山門に近づくことはなかった・・・とか


寂しいことでした。


もし石段を登って山門に入るのなら
その向こうは違った光景が開けてくるのかも知れないのに

まあ、多くの人は山門を見ることもなく
たまに振り返る人がいても
石段を登ることを避け、
今まで通り、平坦な道をただただ進んで
いつしか石段の上の山門を忘れる。

あるいは、
いつしか思い直して道を引き返し
山門へと続く石段を登るのでしょうか

どうなのでしょう・・・


(※この話は昔の自分の出来事を基にしました)


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