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アンダー・ザ・シー ではなく実は、オーバー・ザ・・・?

公開日: 2010年5月22日土曜日 ある寓話


(※この話は、すでに存在する話を読み換えた遊びです)

(霊的な事柄をあらわす寓話になれば幸いです)



世に語られている昔話やおとぎ話で

「海の世界」と呼ばれているものは

人々が一般に考える「海底」なのではなく



もしかしたら

生命体の根源的なふるさとでもある


「生みの世界」海→生みに置き換え)
(物質的世界ではない世界、地上ではない世界)

を表しているかも知れない



とした場合、



実は、登場人物や関連する生命体は
海の底から地上に上ってきた・・・のではなく


上下が逆で、


上方に展開する世界、生命に満ちあふれた根源的な世界
「生みの世界」から地上に下った・・・

というのが、もしかして本当っぽいかも知れない、
と、自分は空想してみる・・・


ということを踏まえてみた場合・・・


浦島太郎や人魚姫などの話を見直すと


「海」は単に「海底」には見えなくて・・・

もっと、謎めいて、
生命に満ちあふれた上方に展開する世界のように見える


となると


登場人物は、いったい、どうして
わざわざ地上の世界に苦労しに下りてきたのか
あるいは
一旦「生みの世界」に
到着したのに、また
戻ってしまったのか・・・


という疑問も生じてくる

その疑問に沿うように、

これらの物語では
地上に降りてきたことの結果としての
悲しいエピソード

というものを伴うことが
ままあるようである


例えば・・・

人形姫は、自由に動き回れる
「生みの世界」から

痛みをこらえなければいけない苦痛とともに
両足を手に入れ
重力に縛られ、不自由になっていく


さて、では

「生みの世界」と地上とは
本当はどういう関係なのだろうか?


このことは、ここではこれ以上
書くのを控えるけれども


このあたりのことをふまえると

地上に住む人間という生命体が、

自分達の都合で、

このまま地上中心に考えた上で
生き続けていくのは

はたしてどうなのだろうか?

というような
考えが浮かんでもおかしくないかも知れない。


だけど、

地上に生きる「人間」という立場は

地上の苦労のはてに、成果を勝ち取ること、

こういったことに
最上級の人生の意味を見い出し、
礼賛しようとせざるを得ないようでもある

それも
おそらく
成果の内容によっては
価値があるのだろうが
はてさて・・・・


本当に地上の苦労や競争のはての行為が
最上級の礼賛が与えられるに
ふさわしいのだろうか?


「生みの世界」からはどう見えているのだろう


どうだろうかねえ
これは・・・

・・・・
ありえるのか、ねえ?

ねえ、セバスチャンはどう思う?




(※この話は、すでに存在する話を読み換えた遊びです)

(霊的な事柄をあらわす寓話になれば幸いです)

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