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修行って不自然? でも自分は霊的修行をする…

公開日: 2010年5月24日月曜日 「霊的修行」 ひとこと修行日記



(※これは、ちょっと前の日記から引っ張ってきた文章です)



「修行というのは不自然である」

ということを言う人もいるらしい。



どうしてそう言うのだろうか?


自分が耳にしたことを
記してみると・・・


「自分の足元を見つめて、
 人として大事なことをわすれず、
 思いやりや感謝や愛の心をもって、
 普通に生きていくことが重要で、
 それこそが真に修行であろう。
 ・・・
 本来の生活にない無理な行為に没頭するのは、
 人としての自然な成長をかえってゆがめ、
 おかしいのではないか」


というようなことらしい。


なるほど、説得力がある。

ふつうに話を聞いていると
うなずいてしまう。


とはいうものの・・・


そう思って、
ほんとうにそうやって生きていけるのなら
それは、たいそう立派な人である。


確かにそのように
実践できる人には
修行はいらないのかもしれない。


あと、
ここでいわれる「修行」は
単に「難行苦行」のことを指しているようで、

霊的な修行の本質とか
肝心要(かんじんかなめ)なことが
触れられていないようでもある


霊的修行というのは
人間という霊的存在のしくみや在り方を
前提にしたものだと自分は思うので
こころの修養では手に負えない
レベルを何とかするものだと
自分は思っている。

となると、
先にあげた考え方には
霊魂としての人間の
あり方や仕組みについて
どこか単純にみている、というか、
あまり深く考えているようには見えにくい・・・


さて・・・
話を戻すとして


正直に言うと

自分には
先にあげたような、
こういう生き方で
立派に生きていくのは
どうも無理そうである。


ふつうに立派に生きられるのなら
そうしたい・・・

しかし
自分のこれまでの生き様を見直してみると
自分の中や奥には

人としての醜さや
つまらなさが満ちている

例えば・・・

どうしても手に入れたい
一人占めしたい(できなければ少しでも多く欲しい)
自分だけでもこっそり逃げ切りたい
いやなものは封じて隠してしまいたい
面倒くさいことは何もしたくない
俺は悪くない、誤解するみんなが悪い!

とでもいうような
思いなどなど・・・


今までの自分は

こんな、醜い気持ちを引き摺って
多くの動植物の命を
(仕方ないとはいえ)
腹の中に入れてきたのである・・・


人間は普通に生きたら
だれも立派な人なんかいない

と、
青年期にひねくれて考えたことが
あったけれども

いまでも多少の違いはあれ
やっぱり
えらそうなことを言っても
他の生命体を喰わずには生きられない
そういう人間の業(ごう)のような
不自由さは
ついてまわるんじゃなかろうか。


となるなら・・・
どちらかというと

感謝より懺悔の方が
生き物として誠実なのではないのだろうか・・・

とさえ思う。


では、
修行すると全て解決するか


というほど
単純な仕組みで
人間や世界ができあがっているのなら

何の苦労もない。


自分はなぜ修行続けるのか?


いろいろな思いが
そこにはある


間違いなく言えることは
このままふつうに生きてもしようがないくらい
未熟であるからだ、といえる


例えば・・・

自分にかなり長い寿命があって
いろいろなことが出来る可能性があったとして

そうであったとしても
今までの自分をみていると
長く生きたところで
ろくな事をしないだろう。


自分は凡人なのだ。


こんなんじゃあ・・・

死の間際になって、

生きてきて
自分は今までに
何をしてきたのだか
・・・
たいしたこともできなく
つまらないことばかり重ねて
・・・
そんなことに
気づいて自分でガッカリする
ことはどうにも明白である・・・


だからこそ
高貴な存在に呼びかけ、

未熟な自分は
教えを請いたいと、願う・・・


(ただし、霊魂と会話するとか
 闇雲に霊感を求めるとか
 そういうことは求めない)


自分にとって修行とは
まず
教えを請いたいと、願う
そこから始まる




ただし
修行なら何でも良いのではないのは確かである。


霊的に弊害のある修行も
存在するようなので

(特に独習の修行や
 霊的な仕組みを
 十分踏まえていない修行などは
 おそらく危険と思われる)


もちろん、気をつけなければならない


さても、修行は
大変な長い道のりである・・・


(まず自分は、
 神伝禊法や神伝鎮魂法を
 ひとつひとつこなすので精一杯だけれども・・・)



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