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霊的に高い低いの判断?とは?…(つぶや記)

公開日: 2010年10月31日日曜日 つぶや記


ただ今、『霊的トレーニングのススメ(4)』を書いている最中ですが、
ちょっと見直しているため、小話を少々・・・

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最近こういうことを考えます・・・


「霊的に高い」
「霊的に高尚」

という言葉を自分が使おうかとする場合、
ちょっと、考えるようになりました。

たとえば、
自分にとって、霊的な視点から尊敬する方をもつ場合、
そこから習った事柄をもとにするならば

「霊的に高い」
「霊的に高尚」

という言葉は使っても、不誠実にはならないだろうと
思えます。


しかし・・・


○○は霊的に高い
▲▲は霊的に低い

という判断を口に出すような場合、
ともすると、霊的ではなく
次のような基準で判断してしまいかねないようです。


・(1)この世的な「立派さ」
・(2)多く見られた、多くの人が言っていた(多発性)
・(3)研究者の意見(学問的な権威?)


これは現代の世に生きる場合
だれにでも起こりそうなことで、
ここから霊的に高い低いを判断しかねない「あやうさ」があるのだと
ふりかえって思うのです。
(おそらく自分の中にも)


(1)(2)(3)について少々説明します。


(1)は世に偉人といわれたり、立派な業績を残したり
人々のために尽くしたりする方を霊的に高いのだろうとする考え方です。
愛を重んじる場合は霊的に高いという考えもこれに近いように思われます。

もちろん、立派な方で霊的に高い方も
中にはいらっしゃるでしょうし、
愛も、恋愛、偏愛、溺愛、情愛、友愛、そして信仰の愛といろいろあるので
愛だからどうとは一言でいえないでしょう。

ともあれ、立派だから霊的に高いとは単純に言えないようです。
ここが、人の世の価値観と霊的なしくみの異なるところのようです。

いままで「霊的トレーニングのススメ」で書いてきたのですが
霊的な事柄は当事者の霊的身体の状態(不調・健全)を
前提に考えることが実態に近いようです。
霊的状態は、表面に表れる心の美しさや立派さと直接の関係はあまりないようなのです。
(高級な幽気の吸収が可能かどうかが一つの重要な視点のようです)

次に(2)についてですが、
これは自分が学生の時に、
世の中の現象を観察し、核心に迫りたい場合に有効な方法だと習いました。
同種の多発的な出来事が起こる場合、核心となるひな型がかくれている
というのだそうです。

しかし、現象の確認ならばこういう手法でいいのでしょうが
霊的な見解を多くの人が言っていたから真実に近い、という場合は、
それが真実に近いといえるかどうか疑問が残ります。

いろいろな神秘家や霊媒が同じことを言っているとしても
そもそもの元ネタが少ないため、
「交差ネットワークによる二度聞き効果」という
デマパニックにみられる現象と同じで、
「みんなが言っているから、これは霊的に正しいのだ」
となりかねないように思われます。


このように
同種の見解が多方向から見受けられて、
十分な数の調査や文献から検討されると

自然科学の思考方法になじんだ現代人は
多発的に起こっていることからもっともらしいと考え
「霊的真実」だろうと
判断してしまうと思われます。

数の多さが内容よりも優先してしまう考え方ともいえます。

しかし

これは、仕方がないとも言えます。
他に霊的な事柄をどう判断していいか
確固たる根拠を持ちにくいため、
・合理的、理にかなっていること
・同種の現象の多発性から本当らしい(統計的ともいいますが)
という理性的な「ものさし」を使うのもやむなし
なのでしょう。

しかし、ともすると知的には進歩したようでも
古人に比べて霊的には直感や感性が退歩したようにも思われ
少々残念でもあります。


(3)は霊的な事柄に関しては、
これでいいのかよくわかりにくい考え方です。
確かに研究者は多くのサンプルや
文献の整合性や、記述の類似性については
相当にくわしいようです。
しかし、言わばこれは
出来事に名前をつけて整理しただけであって
(学問的な価値はあるかも知れませんが)
言葉遊びや記号学の遊びの範疇なので
霊的な感性や感覚に優れていることとは
直接の関係があるわけではないようです。

それならばむしろ、知性よりは霊性を重んじ、
霊的な賢人や達人に弟子入りした方が
よっぽど良いように自分には思えるのです。


・・・ということで

結局、人の身では次元の異なる霊的出来事の
高低を簡単には判断できるものではないのでしょう。

しかし、生と死は誰にでも訪れ
霊的な事柄は人とは無縁ではないといえます。

また、
人間は、人体のしくみだけで判断できるほど
単純な存在ではなく、古人があれこれ考えたように
脳を超えてなお神秘であるとも思われます。

一方で、多くの人が
感覚的には霊魂や死後を考えても
その反対に、
証明不能だとして、真面目に霊について話し出すと
奇異な目で見てしまうという
状況もあるようで、
これが、霊的にいい状況とも思いにくいものです。


なかには霊的な事柄をもっと知りたいと
考える方もいらっしゃるでしょう。

しかし、どうも

霊的な事柄は結局、自分で判断するしかないようです。

自分では心許ないこともあるので
誰かの意見を参考にすることも大事でしょう。

理性や思考や、そればかりではなく
感覚や感性、直感もフル動員して
自らが納得する方向に進まれることを・・・

本当のことを知りたいとする気持ちを
大事に、知りたいことを求め続けて
進まれることを

心から願います・・・


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明石原人 さんのコメント...
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