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霊的トレーニングのススメ(4)…幽体は霊的な宿題をもっている…しかし…

公開日: 2011年3月21日月曜日 「霊的修行」 霊的トレーニングのススメ

[2011.03.21]

<前置き>
 誰もが大事であると感じる物事に対しては、多くの人が声を大にし、
 あるいは多くの人が動きます。
 これは社会において大切なことだと思われますし、実行されている方々には
 頭の下がる思いです。
 また、日々大変な思いで過ごされている方には、こころから、安寧を願わずには
 いられません。
 ただ、一方で、緊急時とのことで誰からも触れらなくなる事柄も
 生じてくるかもしれません。
 その時々の社会的な優先順位からすると順位が下がったり、
 そのことに関心を向けにくくなったり、
 結果として置き去りにされてしまう事柄も出てくるようです。
 もちろん、生活が成り立たなければ、他に何かできることも少ないでしょうし、
 生活をもどすために人々が気持ちを一つにし、同じ方向を向いて協力する事は
 価値のある事と思われます。
 しかしながら、本当に大事な事が「それどころじゃない」と見向きもされなく
 なるようでしたら、それは残念な事であり、となると多少妙だと思われても、
 話す必要もあるのかもしれないと思われます。
 もっとも、自分にそんなに大事な役割が担えるとも思っていませんが、
 願わくば「人は何のために生きるのか」という本当に大事な事に注目される事を
 期待したいものです。したがいまして、少なくとも話す価値があるのではないか
 と思う事は記してみたいと思います。

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霊的トレーニングのススメ 記事リスト
(4)幽体は霊的な宿題をもっている…しかし…
(5)霊的な接点、並びに幽体
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(以下は、自分なりに考えをまとめたものです)
(間違い、誤解を招くような表現があれば訂正致します)
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霊的な事柄を紹介する方々には様々な動機があるようですが、
多くは、
この世の価値観だけでは、人の正体や真実がつかめない
という見地から霊的な価値観の必要性
を説いているように思われます。

その点は自分も同様です。

とはいうものの、
霊的な事柄を説明するそれぞれの人の説が
全て同じというわけではないので、
とどのつまり、見聞きする人それぞれが、
それを信じるか信じないかをご自分で判断するよりほかにないようです。

自分の立ち位置は、詳しくは
を見ていただくとして、
簡単に言うと「神伝の法」として習った霊的トレーニングを行い
霊的身体の成長や、霊的カルマの解消霊的意識の向上を目指し、
一方で霊的な事柄の実際はどうなっているのかを説明する「霊魂学」を学ぶ立場であります。

もちろん、この世に生きていることの意味を踏まえると、
自分をみつめ、潜在心に振り回されず、よりよいと判断した行動を
とることも重要と考えております。
実際のところ
自分はまだ、道の途上にいる立場なので教えを受ける立場なのですが、
自分なりに大事だと感じたことを書いております。


さて、本文に入ります。








人がこの世に誕生してしまうのは、
「未解決な霊的な宿題を抱えている」
から

というテーマで話を展開してみます。


前回の(3)霊的な身体の特徴でも記しましたが、
人は複数の霊的身体を持つようです。
これは大事なことだと聞いているので、繰り返し記載します。

肉体は両親からの遺伝による影響を受けこの世で新たに形成されます。

幽体は肉体の誕生に伴い備わっているようです。ただしこのあたりは複雑な話になるようですので、可能であればいつか補足してみたいと思います。

霊体(比較的高級な霊的身体)は、ほとんどの場合、生まれた時には備わってなく、人生について哲学するような思春期あたりからようやく発生するようです。高級な霊的身体であるのですが、普通に生きていてもほとんど成長しないというほど、成長の遅い身体だそうです。

神体はほとんどの人には無縁らしいのでここでは省きます。

それぞれの身体は意識をもっているようですので、
人が地上で生きていく場合、
それぞれの身体がもつ意識の影響をうけるそうです。
ただし、その意識の影響はそれぞれの身体の成長度合いによるのだそうです。

くわしくは次回以降に記しますが
通常は肉体の脳による意識が圧倒的に発言権が強いそうです。
そして、人が通常「私」と思っている自分に、
幽体の意識や霊体の意識がどれほど影響しているのかというと
これは一概には言えない複雑なことのようです。
残念ながら、霊体の意識が自己主張するほどの人は通常少ないので
ほとんどの場合、幽体の影響を受けることになるようです。
しかし幽体といえども、幽体には高い部分もあれば低い部分もあるようで、
どの影響を表面の意識が強く受けているのか、これも人それぞれで、
また、時期や、体験した出来事によって変動するようですので
一概には言えないことのようです。

とはいえ、人が「私」と思っている自分は
「幽体の意識」そのものではないようですので
強い衝動は別としましても、
幽体の意識は同じ自分である肉体の脳の意識に
思いが伝わらず、途方に暮れることさえ、割とあるのだと
霊魂学関連の書籍で目にした事があります。



さて、人と霊的身体について、模式図にしますと、以下のようになるかと考えられます。

(これは模式図ですので、表現はあくまでも一つのたとえとして受けとめて下さい
また、私の感性でまとめているため表現のバランスがよくない可能性があります。
指摘をうけた場合、修正または削除することがあります)



そこでこの視点から、各身体や霊的身体について振り返ってみると・・・

地上で人間として誕生することは
何かを引き継いでやってくる幽体と関係が深いように思われます。

肉体や霊体とは違って、
幽体は「やってきた」ものであり
幽体は「過去の歴史をもっている」ものであるようです。

しかし、ここでは簡単な説明に留めますが、
地上に新たに生まれるのは、幽質界にいる当事者がまるまる地上の肉体に入り込むのではなく、当事者の幽体のごく一部が地上で誕生する肉体に入り込むようです。
つまり、細胞分裂のようなものだそうです。
こうした場合、新たに地上に入り込んだごく一部にとって、もともとの当事者は、いわば「前世」にあたります。地上に誕生した人間の前世(というと直前の過去に限定されるので、正確には「過去世」)は何人も幽質界に存在しているそうです。

よく、生まれ変わりを認めると地上の人口増加が説明できないという話があるようですが、それは生まれ変わりや幽体の再生の話を単純に考えたために出てきたもののようです。
実際には「生まれ変わり」という現象はかなり入り組んだ事だと、
私は受けとめております。

さて、地上に新たに人間として誕生する幽体のごく一部は
いわばもともとの幽体のミニチュアのようなものらしく、地上の肉体とともに成長の必要があるそうです。

では、
幽体の一部が地上にやってくるのは、いかなる理由によるのか・・・
ということに話を進めてみます。

それには、
ひとつ押さえておいた方がよいことがあるようです。

幽体にとっては、幽界・幽質界とよばれる世界が自然であり、
幽体が高度に成長し、完成されるようであれば、
わざわざ幽体にとって不自由な地上に生まれる理由はないと言えます。

大雑把に言うと、幽体が地上にやってくるとすると
未解決な何かが残っていて、幽界・幽質界の体験や学習が進まなくなっているのだと言えるようです。

例えば、未解決な強い心情が根深く残っている場合・・・などです。

幽体の中に未解決の心情が残っている場合、霊的世界の体験や勉強では解決できないため、地上に誕生して解決を目指さざるを得ないようです。

つまり、生まれてしまうのは、
おそらく未解決な問題を抱えているからである、と言えるようです。

もともと幽体は、霊的世界、つまり幽体を身体の表面にして暮らす世界である幽界・幽質界で
進歩向上をめざしていたのですが、
地上に滞在中に生じてしまった荷物、つまり「未解決な心情」は
地上でなければ解決できないようです。
それは霊的世界と地上の世界の仕組みが違うため、地上で生じたこと、衝撃を受けたこと、生じた感情は、霊的世界では再現できないからのようです。
霊的進歩を足止めしてしまう未解決の心情が残っている場合、解消するためにどうしても地上に生まれてしまうのだそうです。


さて、未解決の心情を解消するために、地上に生まれたということは、その心情と全く無縁の生活をしてもあまり意味がないことがあるようです。
そういう意味では、人間関係の中で生じた未解決の心情を持っている場合、
山に籠もって修行に明け暮れることは、未解決の心情を生んだ日々の生活から離れることになるので意味があるのかどうかは疑問な点となります。
あるいは、何らかの困難な事態に遭遇して生じた未解決の心情を持っている場合は
何不自由なく生活できる幸せな環境は、霊的に意味があるのかどうかむずかしいところとなります。

しかし、その一方で、
単に苦しい日常生活をしたからといって未解決の心情が解消出来るほど簡単なことでもないようです。
霊的進歩を足止めするのですから、相当に深く強い心情ではないかと思われます。
とすると、日々の生活を行っていても、深く強い心情が浮き上がった場合、
気がついたら、
過去世と同じ失敗を繰り返してしまった、
「ああ、またやってしまった・・・」
という大変残念な結果になる怖れもあるわけです。
解決を目指していたはずが、解決から遠ざかる結果になることも
おこりうることもあるかもしれません。

そうならないためには、日常生活の中で乗り越える課題に向かう一方で
潜在する深く強い心情をやわらげる霊的な修行の意味が大変に大きいと思われるわけです。
言い換えると
高貴な霊的存在の指導を受けて、霊的な意識の進歩向上をめざすトレーニングの意味が大変に大きいと思われます。
そこで、霊的な宿題の解決に、あるいは未解決の心情に引っ張られて同じ失敗をしないために
霊的修行・霊的トレーニングを勧めたい、
と私は思っております。

自分が学ばせて頂いている修行の会「契山館」では
各々の目的を持ち、それぞれの段階に応じて
用意されております。

さて、
このような幽体がかかえている未解決の心情を
霊魂学では「霊的カルマ」と称しております
くわしくは次回以降に記してみたいと考えておりますが
「カルマ」という言葉の学問的な意味はともかく
人の生き方を大きく左右する「カルマ」を指すのであれば
それは、「善悪の帳尻あわせ」という単純なものではないようです。

ちなみに・・

いいことをしたら来世にいいことがある
現世が不幸なのは過去世に悪いことをしたからだ

というのは「カルマ」を正しく表現してはいない説明なのだと
霊魂の方々は示しておられるようです。
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※「霊的カルマ」については
「霊的カルマ」 が参考になります
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さて、
現在ではもう一つ踏まえておかねばならない事柄もあるようです。

それは、霊的に進歩向上するには
現在があまり良い状況にないという背景のことです。

幽体の栄養となる高級な幽気がほとんどなく、
幽体そのものが進歩向上以前に
不調になったり不健全になったり
あるいは、仕方ないとはいえ、日常生活の結果
幽体が損傷したり、不調なったり、
かなり、困った事が起こりやすくなっているようです。

とすると、このまま幽体が
回復することもなく死を迎えると
幽体の健全さに応じておのずと死後の世界のいずれかに行くので
いい人であろうと善人であろうと立派であろうと
性格と幽体の健全さに直接の関係はないため
死後は苦しむ可能性が高くなるという残念な結果になりかねません。

人は幽体の健全さに注意を向け
幽体の成長に関心を持ち
幽体が抱える未解決の心情に
振り回されないよう人生を進んでいくことを
こころから願いたいものですし、
自分もそうあるよう努力を続けたく思うものです。

そして、
そのために、霊的トレーニングはもっとも幽体にとって
最も良い効果を生み出す、といって良いようです。
(ただし、霊的トレーニングであれば何でもよいと
いうものでもないようです。
こういった技法は相当に複雑な仕組みのようですので
真に尊敬できる霊的存在の関与している霊的トレーニングを
勧めたく思います)

 
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