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じみれい#11「聖域…とは何をさすのか。ゴミがないことだろうか。本当に聖域ならば立ち入り禁止であろうに」

公開日: 2014年9月18日木曜日 じみれい詩風雑文 永久予告漫画 天河水何処

[2014.09.18]

(以下は個人の感想であり、個人的な雑文並びにイラストです)

ニュース記事にて、排泄物の放置や屎尿の処理に苦悩する日本有数の山の話があり、記事の中で「聖域」との言葉が出てきたことに、いくつか、思い当たることが浮かんで、以下書きしたためるものなり。

ただし、聖域であると言われた方の気持ちはわかる一方で、現実が困難な状況にあることが悲しく、
さらに「聖域」というなれば、宗教的な意味を持つものであり、かつまた、日本古来の宗教観からすると、物質のみならず、
霊的にも「よごれていない」
ことを考えたいところであるものの、話は、排泄物、ゴミの話でとどまっているため
(ニュース記事ではしようがないが)
いろいろと歯痒い思いを残しつつ、以下、書きしたためるものなり。




聖域…とは何をさすのか。ゴミがないことだろうか。

 本当に聖域ならば立ち入り禁止であろうに


聖域とされた、貴い霊峰が
いまや、押し寄せる登山客にて

処理に困った排泄物や屎尿の扱いに
悩まされているとのこと

ヒトとは食べては排泄する動物である
排泄物や屎尿など、出るものは仕方がない

ここは聖域なのだから、ゴミや排泄物を禁じるという
そういう気持ちも
霊峰を大切に思う気持ちゆえとすれば
納得もできる

しかし、
聖域というのなら
さて、
聖域とは何をさすのだろうか

たとえば
アンナプルナ山系のマチャプチャレ
(神聖な山として崇敬されており、登山が禁止)

たとえば
梅里雪山(メイリーシュエシャン)という連山
(巡礼信仰は山腹の寺院までで、登山者は地元に嫌われ、遭難は天罰だとされる)

そして
聖地カイラス山
(未踏峰。信仰の山である為、登頂許可は下りない)

これらは聖域であり、聖地であり聖なる山とされるのは
これならば、納得のいくものである。

さて、

山があれば登りたい
そして山頂からの絶景を眺めたい
という気持ちも
わかるけれども
そうしてヒトが押し寄せるならば
それはスポーツの対象であって
聖なる霊峰だとか、聖域だとか、聖なる山と
言えるのであろうか。

聖なる山を自分の足で踏みつけるのであれば
信仰の対象でもなく、
階段と同じで、高いところに行くための通路でしかない

この国の聖なる霊峰が
人々に絶景を提供することに最大の価値をもつというのなら
ヒトがどんどん登頂するのは、いたしかたない
まだ、山としての意義はあるかもしれない。

ただし、
聖なる霊峰ではなくなってしまうのだろう

聖なる霊峰であり、聖域であるのなら
人々が信仰し、仰ぎ見
貴い山として守り

みだりなる混乱や喧騒を避け
貴い存在の「体現」「指標」「めじるし」などとして
貴い存在へと向かう重要な接点となり
それがゆえに、事実上の神仏や貴い霊的な存在にひとしいとして
崇拝される

そうして人々の貴い思いが
生きるのなら聖域であり聖なる霊峰であろうが

仰ぐのではなく、踏破する対象となったとき

しかも、毎夏20万人も絶えず登り続けるのであれば
人気の山であっても

聖域や聖なる霊峰からは遠ざかってゆくのだろう

さて、

聖域がなくなっていくということは
貴い存在、
神仏、高貴な霊的存在との
接点を自ら捨ててしまうことであり

とどのつまり、神仏を捨ててしまうこととも言える

まことに、まことに
残念である…



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